暗礁については一度こんなことがあった。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があった。明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい鉄工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦(くちくかん)が打(ぶ)つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌(しの)ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行って見ても小さなランチは波に揉まれるばかりで結局かえって邪魔をしに行ったようなことになってしまった。働いたのは島の海女(あま)で、激浪のなかを潜っては屍体を引き揚げ、大きな焚火(たきび)を焚(た)いてそばで冷え凍えた水兵の身体を自分らの肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺死した。その溺死体の爪は残酷なことにはみな剥(は)がれていたという。
それは岩へ掻きついては波に持ってゆかれた恐ろしい努力を語るものだった。
暗礁に乗りあげた駆逐艦の残骸は、山へあがって見ると干潮時の遠い沖合に姿を現わしていることがあった。
梶井基次郎「海 断片」より
少年期を鳥羽で過ごした梶井が書く駆逐艦は
1911年11月23日に横須賀から佐世保へ航行で
荒天により的矢湾への退避中、座礁沈没した春雨という駆逐艦
この春雨が座礁した暗礁を直下に見る展望台から眺める海は
青いが何となく、物悲しい
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